風と幻灯

家族のこと、猫のこと、日々の暮らし。
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寂しい夜

いたらいたでうるさいけれど、いなきゃいないでさみしい。

いても、いなくても、毎日、毎時間、毎分想ってしまう。

息子の存在。


何年前だっけ、鬱と診断されたのは。
息子が16歳だったから、4年前か。

診断をされるまで、数年、状態の良くない日々が続いていたから、診断を受ける数年前から鬱だったんだろう。

もともと、家事は得意じゃないし、手抜きだらけだったけど、息子が中学にはいって少ししたくらいから、本格的に家事ができなくなった。

家中ごみにあふれて、モノは散乱して、キッチンは汚れた皿が何枚も重ねられて、料理をつくる状況になかった。

お弁当と買ってきた惣菜で食事を済ます日々。

ちょうどその頃、息子は徐々に体重が増えて行って、わたしではとても満足なケアが出来なくなってきていて、帰りの遅い夫も、もちろん、息子の世話など出来るはずも無く、ヘルパーさんなどのサービスも受けていなかったから、息子は毎晩、深夜の2時、3時に眠る日々で、朝、起きれるはずも無く、学校もやすみがちだった。

息子の頭は、何日もお風呂に入れずに、ベトベトになって、フケが浮いていた。
オムツの状態も最悪で、いつもオムツかぶれで、お尻は真っ赤だった。

そんな息子を見るたびに、何もできない自分を責めて、責めて、責めて。
それでも、誰かに頼ることもせず、何の解決策を模索することもせず、ただ、負の悪循環の中にいた。

あるとき、部屋にいると、息子がわたしを呼んだ。
「ママー」と声が聞こえた途端、わたしは、両耳を押さえて、うずくまって、「呼ばないで!わたしを呼ばないで!声を聞かせないで!」と頭の中で叫んだ。
涙が、ボロボロと零れ落ちていた。

明らかに、わたしは、おかしい。と、思った瞬間だった。

それから、夫に相談したり、いくつかの病院を回って、受診したりカウンセリングを受けたりした。

たいてい、「鬱」もしくは「鬱状態」だと言われ、薬を処方された。
でも、一向に良くなる気配は無く、もらった睡眠薬は効きすぎて、服用すると、翌日も起き上がることが出来ず、何も出来ない日々が続いた。

あるとき、夫と一緒に、評判が良いと聞いた病院を訪れ、神経科を受診した。

今まで通っていたどの病院のドクターよりも、わたしの話をじっくりと聞いてくれたその先生は、息子の介護が、わたしのストレスで大きな位置を占めていると言った。

わたしは、その答えに納得がいかなかった。

いや、納得が行かなかった。ではなく、否定したかった。

わたしは、息子を可愛いと思っており、愛しており、大変なことなど、何もないのです。と。
世話が出来なく、ふがいなく思っていますが、罪悪感を常に抱えていますが、それでも、それでも。と。

そうすると、ドクターは、うんうんとわたしの話をうなづきながら聞いて、そして、静かに言った。
「16年ですよ」と。

16年、毎日、介護を続けてきたんですよ。と。

わたしは、その言葉に、はっとなった。

「育児」だと思っていたそれらは、すでに、育児では無かった。
そして、16年経っていたのだ。

16年。

いつのまに、そんなに月日が経っていたのだろうと。


その診察の後、数年が過ぎて、今、わたしは、「もう、自分は鬱ではない」とはっきりと自覚できる状態にある。

その時期を乗り越えるために、たくさんの時間がいったし、たくさんの、ひとの手があった。
家族、特に夫の支えは、本当に有難かった。

毎晩のように、わたしと夫は、深夜にカフェに出かけた。
わたしは、夫と話をすることが、この世で一番楽しいことなので、たくさん、夫と話をしたかった。

なるべく、家から離れていたかった。

それで、深夜、帰宅後の夫にねだって、カフェに連れ出してもらい、朝までカフェで過ごすこともしばしばあった。
息子も、まだ、そのときは、呼吸器などの必要もなかったので、娘に留守を頼んで出かけることが出来たから。
娘にも、息子にも、感謝しなくてはいけない。

夫は、ふたりきりの旅行も計画してくれて、ふたりで沖縄にも行ってきた。
息子はショートステイと寄宿舎に預け、娘はひとりでお留守番。
そんなこと出来ないと、最初、とても乗り気ではなかったのだけど、無理にでも行くべきだと夫が言って、周りのひとたちも、それは良いことだと後押しをしてくれて、結局いくことになった。

家事も、「育児」も、「介護」もない数日は、結果、わたしをとても休めてくれた。
夫とふたりなのが嬉しくて、毎日、とても楽しかった。

ホテルのベランダに、干した水着が風に吹かれて、それをベッドに横になりながら見ていたら、なぜか、新婚の頃の小さな家を思い出した。

景史はまだ数ヶ月で、家中ミルクの臭いがして、季節は初夏で。
まだ、病気のことも知らず、わたしたちは、とても幸せで。

この幸せが、どうか、永遠に続きますようにと。
祈らずにいられなかった。

あの日を。



そうやって家族や、心配してくれる友達、心を寄せてくれるひとたち、手を貸してくれるひとたちに支えられて、ようやく、乗り越えることが出来た。

パンを焼いたり、料理を考えたり、家を片付けたり、友達やヘルパーさんたちとおしゃべりをしてすごす、当たり前のような日がやってきて、この1年、見違えるように変わったと思う。

それなのに、ここへ来て、何かがまた、わたしの中で、苦しいと言い出しているようだ。

この数週間、息子に対して、イライラすることが増えた。
明らかに、増えた。

息子はよく、突然大きな声をだしたり、ひきずるような鳴き声のような奇声を発するのだけど、それが、どうにも我慢できなくなっている自分がいる。

もともと、大きな声は好きじゃないし、不快に近い「音」なのだけど、いわゆる、「瞬間湯沸かし器」のように、イライラのゲージが、ピン!とフルになる。
爆発、しそうになる。

息子を、たたくことを想像する。

いけない。と、思って、ぎゅっと耐える。

でも、時々、耐え切れず、「いい加減にしなさい!」と息子のお尻や肩をパシンとたたく。

そうして、結局、後悔して、部屋でひとり泣いたり、猫を抱きしめて、「どうか、この暗闇から救い出して」と声に出して、願う。

先日の晩、息子の呼吸器のエラー音がして、「ちょっと、見てきてよ」と夫に言われた。

息子は、パパがいるとき、パパに構って欲しくて、何度も何度も呼んだり、ぐずったりするのだけど、呼吸器のマスクも、口をもごもごを動かして、わざとずらして、エラーを起こさせることがあるのだ。
それがあんまり頻繁なので、夫も少し困っていて、わたしが行けば、怒られるから、息子が静かになるから、わたしに「見てきてよ」と頼むのだ。

わたしは、本当は、そのとき、いやだったけど、怒るのがイヤだったけど、これが何度も続くのもいやで、寝室に向かい、「ちゃんとしなさい」と言いながら、息子の呼吸器のマスクを直していた。

でも、そのとき、息子の頭の位置がどうもよくなくて、うまく呼吸器が装着できず、何度もやり直すはめになった。

わたしは次第にイライラして、息子の呼吸器のマスクをとても乱暴に装着し、やり直し、を繰り返した。
頭の位置を直しているときに、息子の喉に手が当たってしまい、ちょうど、喉仏のあたりだったようで、息子が、「げっ」と苦しそうな声をだした。

その声に、びっくりして、すごく慌てて、わるいのはわたしなのに、息子はちっとも悪くないのに、「やめてよ!」といって、息子のおでこをピシャリとたたいた。

それからバタバタと呼吸器を装着し終わって、リビングに戻り、自分のしたことが恐ろしくて、両手で顔を覆ってソファに座っていた夫に、「聞いて・・・」と言って、ここ最近、とても自分がイライラしていることなどを告げた。

息子に、とってもイライラして、他のことは何もそんな風にならないのに、息子にだけイライラするんだと言って、このままでは、虐待してしまうかもしれないと泣いて、今、わたしが、虐待をしないのは、世間体があるからだけな気がする。とも言った。

それから夫と、わたしの感情のあり方の問題だとか、人間の本質の問題だとかを、たくさん話した。

夫は言った「20年だよ」と。

あの時聞いた16年は、それからさらに時が経っていて、もう、20年なんだ。

どれだけあなたが意識していなくとも、あなたはこの20年、自由を奪われてきて、拘束され続けてきた。
それは事実だ。
そして、そのストレスは絶対にあるんだと言った。

言葉にすれば、確かにその通りなのだと思うけど、それでも、わたしの感情が、それを、どうしても否定したがっている。
だってわたしは、やっぱり、息子が大好きで、家族がとても好きで、毎日、幸せだと思っているのに。

愛しているからこその、ストレスもあるんだよ。と、夫はまた言った。

それでも、やっぱり、わたしは、否定したい。

わたしの暗闇は、わたしが持って生まれたもので、それは他の誰のせいでもなくて、わたしが、単純に異常な心を持っているだけなのだと。

そしてわたしは、それをどのように飼いならすべきなのか、どのように対処するべきなのかが分からない。

カウンセリングに行ったほうがいいんだろうか?と聞くと、夫は、それが必要ならそうしてもいいと思うけど。と、言いながら、でもこうやって話してくれるから、大丈夫だと思うよ。とも言った。

その後、わたしはポロをそっと抱きかかえて、まだ眠ってはいない息子の所に行って、ポロと一緒に息子の頭にキスをして、「おやすみ」と言うと、息子は、「さっき、ごめんね」と言った。
息子は、何も悪くないのに。

「ママもごめんね」と言うと、息子が、少し笑って、「あたま、たたいたから?」と言ったので、「その一言が余計なのよ!」と笑いながら言うと、息子も、また、笑った。

ポロを抱きかかえたままリビングに戻り、「この暗闇から、どうかわたしを連れ出してくださいって、いつもポロにお願いするの」と夫に言った。

「ポロは、わたしの、清らかさの象徴なんだと思う」と言うと、夫が「なにそれ?」と聞くので
「ポロといると優しくなれる。もしかしたら、いいひとなんじゃないかって思えるから」と答えると
「でも、本質じゃないだろ?(笑」と笑うので
「わかんないじゃん!これが本質かもしれないじゃん!」と反論すると
「ねぇよ!」と笑った。

ねぇのか。

まぁ・・「ねぇ」けどね。



日々思う。
どうしたら、もっと優しくなれるんだろうと。

もっと、強くなれるんだろうと。


今日は息子が、ショートステイにお泊りで、いない。

とてもとても寂しくて、こんなに恋しいのに。

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4 Comments

tomotan says...""
すごく良かった。胸が痛かった。気持ちが分かる気がした。

私がどんなに想像してもきっとそれ以上だと思うMomeさんの日々。
すごく大変だと思います。 そしていつもなんでもないことのように書いていたけど、絶対に大変なことだと思っていました。

可愛くて、いとしくて、でも反面いらいらしてしまう。子育て中は誰でもあるけど、でも20年。。。。とても長い時間ですよ。
でもその20年は心からの祈りだったにも違いないんですよね。
成人式に迎えること、、。 どれほど嬉しかったかと思います。
20年ですもん、欝になって当たり前だと思います。

ステイなど利用できることはどんどんして、楽しんでくださいね。
自分を責めないでね。
2012.02.28 06:01 | URL | #- [edit]
says..."管理人のみ閲覧できます"
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2012.02.29 03:00 | | # [edit]
mome says...">to tomotanさま"
なんていうか、あんまりねぇ、自分では「大変」って意識したことが無いんですよ。
彼が生まれてからこっち、これが我が家のスタンダードで、当たり前だったからなんでしょうね。
他の家のことは分からないけど、「育児」なんて、みんな当たり前に大変なんだって思っているし、そういうものなんだってね。

でも、それが、途切れることがなく、ずっと続いているっていうのは、やっぱり、特殊なことなんだよなぁと、頭では理解できるんですけど、感情がね、でも、どうなの?子どもを産んで育てる責任って、そういうものなんじゃないの?含めてなんじゃないの?って思うんですよね。
だからなかなか、折り合いがつかなくて。

でも、こんなふうに「大変」なことと引き換えに、きっと、それと同等の喜びも貰っているんじゃないかなって気もしています。
本当に些細なことが嬉しかったりねぇ(笑
うまく帳尻があってるのかもしれないです。

ありがとう!
自分を責めても、何も解決しない!ってことは、鬱の時に(と、いうか回復してから)、本当に実感したことなので、何か楽しいことを見つけて、気晴らしをしながらのんびりやっていこうと思っています。

本当にありがとうね^-^
2012.02.29 14:11 | URL | #- [edit]
mome says..."非公開コメントさま"
言ってること、すっごくよくわかります。
ひとは、いろんな感情を持ちながら生きているんですもんねぇ。
それは本当にいろいろで、裏表だったりすることもしばしばで、簡単に割り切れるものじゃないんですよね。


人生、何もかもがいっぺんに手に入るわけじゃなくて、何かを選びながら生きてるんですよね。
だから、何かを選んだら、何かを捨てているかもしれない。
でも、それもこれも、自分が選んで決めてきたことだから、仕方が無いんですよね。
それを後悔しても始まらないし、それに、選んだ物事によって、自分が幸せでいる自覚もあるし。

あとはもう、それらを、どうコントロールしていくか。なんですよねぇ・・。
修行がたりません!(笑

本当にありがとう。
ゆっくりゆっくりやっていきます^-^
2012.02.29 14:16 | URL | #- [edit]

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