風と幻灯

家族のこと、猫のこと、日々の暮らし。
MENU

花を贈る

1月には3回、大好きだったひとたちの命日があります。


命日って、なんで命の日って書くんだろうなぁ。と、死というものに対して、あまり馴染みの無いわたしは、ぼうっと考えていました。
でも、どうやって生きたか、どうやって死んでいくのかは、命そのものなのだから、そういうものなのかもしれないなとも思ったりします。

3人は、息子の友達でした。

3人とも、息子と同じ病気をもっていました。

S君と知り合ったのは、小学校に入学してすぐでした。
わたしたちが世田谷に越してきたのは、息子を、世田谷にある養護学校(現在は、特別支援学校という)に通わせるためでした。

いくつも学校を見て周り、古いけれど、しっかりとした教育理念ときちんとした教員が居て、わたしたちは、そこに決めたのでした。

朝、バスポイントにスクールバスがお迎えに来るのですが、そのバスポイントから乗る子は、うちの景史と、もうひとりいました。
景史よりも5歳年上のお兄ちゃんでした。

お見送りに出ていたお母さんと、軽く挨拶をし、お迎えのときは、時間があったため、世間話などをするようになりました。

そこで、どっちが言ったのかは覚えていないのですが、「うちは、筋ジストロフィーの福山型なの」「え?!うちも!!」とお互いにびっくりしたことを覚えています。

景史以外の、筋ジストロフィーのお子さんに会うのは初めてのことでした。

だからわたしにとって、わたしたち家族にとって、S君は、少し先の息子の姿のように思えて、ちょっと特別な存在でした。


そして同じく、小学校に入学して、同じクラスになったMSちゃん。
笑顔がキュートな女の子。
彼女も、景史と同じ、筋ジストロフィーの福山型でした。

MSちゃんには、同じ学校に通う、お姉ちゃんのMKちゃんがいました。
色の白い美人さんで、美人姉妹と学校では評判でした。
彼女も、同じ病気を持っていました。

ふたりとも、本当に可愛くて、学校でわたしに会うと、「景くんのおかあさぁ~ん」と甘い声で、細く白い手を差し出して、優しく手を握ってくれるのでした。

そして、小学校の3,4年生になった頃、息子は初恋をし、そのお相手は、MSちゃんでした。

学校でも有名な片思いで、いつもみんなに冷やかされていました。


そして時が過ぎ、2007年の1月の終わり、同じバスポイントのお母さんから電話があり、S君が亡くなったことを知らされました。
成人式を迎えたばかりの年でした。

慌ててS君の家に出向いた夜のことを、わたしは、生涯忘れることは無いでしょう。
安らかな、お顔をしていました。


それから3年後。
息子たちが高校3年生だった1月の、やはり終わり頃。
MSちゃんのお姉ちゃんのMKちゃんの訃報が、学年メールで届きました。

うちの学年みんなで悲しんで、何かお手伝いはできないかと相談しましたが、お姉ちゃんには、お姉ちゃんの同級生のお母さんたちがついていてくれるだろうからと、それを遠慮して、じゃぁ、ほかに何かと、みんなで相談をしていました。

普通、葬儀の連絡は、わりとすぐに来るのですが、それが2日たっても来ないので、どうしたんだろう?と、思っていたところに、わたしの携帯がなりました。
学年の係りの方からの電話で「メール見た?」と。

その日、メールの着信に気づいていなかったわたしは、「まだ見てないけど・・?」となんだかドキドキする気持ちで答えると、彼女は泣き出して、「MSちゃんが・・・」と言いました。あとは言葉になりませんでした。

「なんで、なんで、なんで・・・・!!」
叫ぶように言って、その後、メールの確認をしました。
お姉ちゃんのMKちゃんが亡くなったその2日後、後を追うように、MSちゃんも息を引き取っていました。

まだ、17歳と21歳でした。

わたしにとって、わたしたち家族にとって、本当に特別で大切だった3人の子。
1月は、3人を毎日のように毎年想います。

出来ることが、何もないから。
せめて、お花だけでも贈りたくて、1月終わりは、お花屋さんを訪れます。

笑顔を思い浮かべながら、花を選びます。
「命日」に、ふさわしいか分からないけど、ピンクやオレンジの花を選んだりもします。
喜んでくれるかなぁ?って考えながら。

今まで、たくさんの命を送りました。

普通の、健康な子たちが通う学校ではありえないくらいの数を。

縁のあった子たち、すべての記憶を、忘れることなく思い出せます。
その、母の痛みは、同じ立場にならないと決して理解することなど出来ないだろうと思うけれど、少しでも、その気持ちに寄り添いたい。
出来ることがあるのなら、何でも言って欲しい。


実は今回、花を贈る前に、夫に「お花やさんに行って来るね」と告げたとき、夫は何か思う顔をして「ボクは、ちょっと分からないんだよ」と言いました。

「何が?」と聞くと「花を送るのが、いいのかどうか、わかんない」と答えるので、「どうして?」と聞きました。
「だって、思い出しちゃうだろう?」と夫。
わたしは少し驚いて「何言ってるの?バカね。思い出すなんて。毎日、毎日、思い出さない日があるわけがないじゃないの!」と言うと「そうなんだけどさ・・・」と言いました。

でも確かに、みんなそれぞれだから。
いろんな想いがあることは当たり前だけど。

だったら、「自分だったら、どう思うか」に合わせて行動するしかないのかなと。

わたしだったら・・・。
忘れないで居てくれることが、とても嬉しい。
もちろん、花を貰うことじゃなくて、その存在を、ずっと、忘れないで居てくれることが嬉しいと思う。
わたしは、みんなのことを、忘れるわけが無いし、忘れられないし、忘れようとも思わないけど。

だから、そのしるしに、花を贈る。

関連記事
スポンサーサイト

該当の記事は見つかりませんでした。

6 Comments

サ・エ・ラ says...""
遠いところへ行ってしまったわが子の事を
おぼえててくれる人がいるってことは、
親としてすごく嬉しいことだと思います。
わが子をなくした時、自分がどうなってしまうかだけは、
どうしても想像がつかないんですが、
(親や夫の場合なら、ある程度想像できるんだけど・・・)
もし、その後、うちの子の生きてた姿を、
誰もおぼえててくれなかったら、
どんなに寂しいか知れません。
反対に、沢山の人の心の中に残ってるとわかったら、
その子の生が、もっと確かなものになる気がするんじゃないかな・・・・
だから、私がmomeさんでも、やはり、
「忘れてないよ、いい子だったよね・・・」という気持ちをこめて、
その子に似合うお花を送りたいです。
2012.01.24 21:05 | URL | #DDJALrL2 [edit]
mome says...">to サ・エ・ラさま"
そうですよねぇ。
うちも、息子に関しては、やっぱりそういう病気があるから、どうしても、その想像は時折頭に浮かんできてしまいますけど、娘に関しては、想像することも出来ないですよ。
人の命なんて、いつ、何があるかわからないのに、やっぱり、無理ですよねぇ。

そう、人の死って2回あるって、よく言うじゃないですか。
ひとつは、命が終わるとき、もうひとつは、記憶から忘れられるときって。
やっぱり、大事な人のことは、いつまでも、記憶の中でずっと生きていてもらいたいと、わたしも思います。
本当に、良い子たちだったから、きっと、たくさんのひとの心の中で、生き続けていると信じています。
ありがとう^-^
2012.01.24 22:32 | URL | #- [edit]
tomotan says..."忘れない、、。"
忘れないって、、とっても大事なことですよね。

この記事はすごく胸に詰まりました。
どんなに、どんなにつらいかと思うと言葉もないです。
1日も早く特効薬のようなものができたらいいのにって心から思います。
2012.01.25 05:39 | URL | #- [edit]
mome says...">to tomotanさま"
本当に、たぶん、生きていて一番辛いことのひとつなんじゃないかなって思いますね。
特効薬は、たぶん、時間しかないんでしょうが、これは、即効性が無いですからねぇ・・。

それでもみんな、苦しくても、辛くても、がんばって生きている。
心から尊敬しています。

大事だったひとのことは、もちろん、ひとじゃなくても、永遠に忘れないですよね。
2012.01.26 21:58 | URL | #- [edit]
さとさと says..."なんか…深い"
momeさんのご主人の言葉…
「だって、思い出しちゃうだろう?」って…
私は「あぁ、そうか」って思っちゃいましたよ。
ミーちゃんを亡くしてウチには猫が居なくなって
これまでは、花瓶を倒されるから花は部屋には
置かなかったんだけど、今は写真の横に
飾ったり、火葬の時もお花を入れてやったり
死んでからお花がウチにはあって
もし、命日にお花を貰ったら
その子を思い出すより、死んでしまった時の事や
自分の不安な気持ちを思い出す…かもなぁ
(その子の事は片時も忘れないに決まってるしね)

命日にお花って普通の事なんだけど
momeさんちもタキちゃんを亡くされたばかりだし
もしかしたら ご主人も…なんて言うか
そんな風に思うところがあったのかなぁ、なんて
思ってしまいました
ご主人のお言葉はなかなか深いですな(^_^;)
2012.01.30 02:31 | URL | #- [edit]
mome says...">to さとさとさま"
さとさとさんも、うちの夫も、まだまだ傷がぐちゅぐちゅなんだと思うんですよ。
先日も、タキの49日をやるかどうか聞いたとき、夫はやっぱり「思い出しちゃうからやりたくない」って言ったんです。
それはまだ、一番辛かったときを最初に思い出してしまうからなんですよね・・。
わたしも、その気持ちはすっごくよく分かります。

自分の子の死なんて、いつまで経っても、傷が癒えることは決してないのだろうけど、それでも、時とともに、楽しかったことを最初に思い出せるようになるんじゃないかなぁって、わたしは思っています。
まだまだ混在しているとは思うんですけどね・・。

だから、夫がそういったとき、やっぱりちょっと、はっとしました。
2012.01.30 20:56 | URL | #- [edit]

Leave a reply






管理者にだけ表示を許可する

Trackbacks

trackbackURL:http://seekmome.blog76.fc2.com/tb.php/311-99efcda4